[Hiroshima trip] Onomichi trip. Rice, snacks, souvenirs and Walk in Onomichi City Hiroshima Japan
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- Опубликовано: 23 янв 2025
- I have put together a one night and two day trip to Onomichi.
I visited Onomichi for the first time in a long time, and there are many new shops that have opened.I stopped by various shops while walking around the city.
All the shops were very nice and it was a fun trip.
Some stores are introduced in detail in separate videos, so be sure to check them out as well.
Shops I visited this time
Onomichi Roman Coffee main store
4-1 Jusokamotomachi, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Handmade Ice Cream Karasawa
1-15-19 Tsuchido, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Xiaolongbao Sakaba Yamatoyu
1-3-20 Tsuchido, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Sumida Bakery
24-1 Mukojima-cho, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Goto drinking water industry (Goto mineral spring)
755-2 Mukojima-cho, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Onomichi Kannonyama Fruit Parlor
551 Mukojima-cho, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Onomichi Ramen Shoya
5-13 Jusokamotomachi, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Keima Kamaboko Store
1-9-3 Tsuchido, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Snack and wild cat
3-1 Higashigoshomachi, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Kitamaetei
2-8-13 Tsuchido, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Akubi Cafe
2-4-9 Tsuchido, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
Onomichi Eemonya
4-2 Jusokamotomachi, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
bouquet d'arbre
19-18 Higashidodocho, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
⚪︎What I rode this time
Senkojiyama Ropeway
1-3 Nagae, Onomichi, Hiroshima Prefecture
Onomichi Ferry Co., Ltd. Kaneyoshi Ferry Onomichi (Tsuchido) Terminal
1-16 Tsuchido, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
⚪︎Inn where I stayed this time
Le jardin charme le jardin charme
6-24 Higashidodocho, Onomichi City, Hiroshima Prefecture
正しくは「3:36」の誤りでした。
ありがとうございます
25:51
この場所は、雨の中、実加と真子が「前野万里子の家」へ討入りする場面のロケ地です。
この場所は映画「ふたり」のロケ地ですが、実は映画「転校生」のロケ地でもあります。
「前野万里子の家」と「斉藤一美の家」も同一の民家でした。
なぜでしょうか。
それは、大林宣彦監督が時を超えてその映画に対する情熱の魂を次の世代へ引き継いでほしいと考えていたからだと思います。
映画「東京物語」には、平山敬三が母の突然の死を嘆き悲しみ、それを見た義姉の紀子が声をかける場面があります。
敬三の母である平山とみを演じたのは東山千榮子さんで、敬三の義姉である平山紀子を演じたのは原節子さんでした。
私は、初めて「タイル小路」を訪問した時、本当に声を出して驚きました。
原田知世さんが演じた芳山和子が1983年4月に高校へ通ったのが「タイル小路」でしたが、平山とみの葬儀が1953年7月に執り行われた際、紀子が敬三に声をかけたことになっている同寺の縁側がわずか10メートルだけ離れて目の前に存在していたからです。
実は、福善寺の境内は、1981年6月11日(木曜日)の朝、登校前の一夫と一美が待ち合わせした地でもありました。
14:54
うわぁ、正にこのアングルです!
完璧です、よくできました!!
1960年に新藤兼人監督が乙羽信子さんと殿山泰司さんが演じた夫婦、そして太郎と次郎の姿を撮影したアングルと同一です。
1957年3月開業の千光寺山ロープウェイが1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」に白黒で映っているのです。
その場面には、もちろん「尾道大橋」も「新尾道大橋」も映っていません。
太郎と次郎が「宿禰島」で釣り上げた鯛が尾道の魚屋で高値で売れたから、四人はその記念に千光寺山に登ったのです。
@mizusawa-hidenariさんに
映画「裸の島」のことを教えていただいて
初めて映画を観ました
さきほど こちらのコメントをいただいてから
夫婦と子どもたちがロープーウエイから降りて並んで風景を眺めている場面をもう一度観て
なんだかとっても うれしくなっているところです
3:26
おおおおおおおおおっ、ここは大林宣彦監督の生家ですよ。
映画「時をかける少女」に現れる「タイル小路」わきの民家は、大林監督の生家のお隣さんである島居完さんの所有物でした。
ちなみに、1983年3月から4月にかけて尾道・竹原ロケが行われた際、原田知世さんは、真正面に見える「尾道ロイヤルホテル」に宿泊しました。
同ホテルは、1953年8月に小津安二郎監督が「住吉神社の石灯籠」を撮影したロケ地の真正面にあります。
「時かけ少女」のエンドロールの最後に「監督 大林宣彦」の白文字が「西方寺普明閣の石灯籠」と「未開花の桜」を指し示すように動いていたことに気づきましたか。
大林監督は、その時、半世紀後の「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオも完成させていたはずです。
もちろん主役は原田知世さんです。
満開になった65歳の知世さんでもう一本、というシナリオだったはずです。
@mizusawa-hidenariさん
コメントをいただき ありがとうございます
貴重な情報 ありがとうございます
知らないことばかりでした
今度 尾道を訪れるときや 映画を観るときに
いただいた情報をもとに
また楽しませていただこうと思います
@@Hassaku_Lemon
島居家の墓所は「西土堂ポケットパーク」の真正面に位置する境内墓地にあります。
「西土堂ポケットパーク」は1981年8月当時は理容店でした。
1981年6月10日(水曜日)の下校時、一夫が一美のスカートをめくり、二人が追いかけっこしながら駆け抜けた場面のロケ地です。
映画「ふたり」には、実加を演じた「石田ひかりさんの入浴シーン」があります。
そのメイキングDVDによれば、そのシーンは「糸崎のミカン倉庫」の中で撮影されたそうです。
現在、三原市糸崎8丁目交差点には白いループ橋がありますが、N村さんの私邸が建っているところに「糸崎のミカン倉庫」が存在していたのです。
私は、山陽本線の尾道駅と糸崎駅の間を何度も何度も往復していたのですが、どうして大林監督がその地で「石田ひかりさんの入浴シーン」を撮影したのか30年以上理解することが出来ませんでした。
ところが、ある日、「糸崎のミカン倉庫」の跡地を訪問した時、目の前に広がる瀬戸内海に無人島の宿禰島が存在することに気づきました。
宿禰島は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」が新藤兼人監督によって撮影された島です。
信じられないことですが、1990年に大林監督が「糸崎のミカン倉庫」で撮影した「石田ひかりさんの入浴シーン」は、なんと1960年に新藤監督が「宿禰島」で撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。
幼くして亡くなった太郎の遺体を埋葬する場面で、乙羽信子さんが演じた太郎の母は、彼の「おもちゃの日本刀」を副葬品として供えるため慌てて自宅へ引き返すシーンがあります。
その場面で乙羽信子さんの背後に三原市糸崎町、現在の糸崎8丁目交差点のループ橋がある辺りが綺麗に映り込みます。
九州旅行のお土産を持って実加が「料亭旅館魚信」のそばで真子にお饅頭を食べさせる場面のロケ地も、実は「裸の島」のロケ地なんです。
さらには、その地は、「転校生」のラストシーンで、トラックの助手席側の窓から一夫がカメラを取り出し、一美の姿を撮影始めた場面のロケ地でもあります。
クリームぜんざいダブルサイコーですねーいいなー
りゅさん
コメントをいただき ありがとうございます
抹茶とごまのクリームぜんざいダブルおすすめです
たまごのアイスも美味しいですよ
モナカは、食べたことがあるんですが 私が行く時間帯が女性の方々が多いいので モナカを買って逃げるように外で食べます^_^
今回 タイミングよく席に座ることができたので
クリームぜんざいダブルをいただくことができました
女性客がたくさんいらっしゃっても
席があいていたら 是非 クリームぜんざいダブルを食べてみてください
美味しくて きっと他のことが気にならないかもしれませんよ~
恥ずかしいですが 挑戦してみます^_^
Memories of Nobuhiko Obayashi movies in Onomichi ✨✨
@sleuthentertainment5872さん
Thank you for your commen.
We like Onomichi.
We also like director Obayashi's movies.
いいね、いいね、いいね。
岩子島もいいですよ、ミーコがソーダ水をコオに手渡す場面のロケ地が。
そこには何もないんです、瀬戸内海と岩子島の民家を除いては。
竹内力さんと原田貴和子さんの若い頃の姿が見られるからそれだけでいい。
岩子島
いつか 行ってみたいと思います
「彼のオートバイ 彼女の島」のロケ地なのですね
@@Hassaku_Lemon
ミーヨとコオの二人が夏祭りで地元の人々と踊ったのが「岩子島小学校跡地」です。
歌手の浜田省吾さんは、幼少の頃、そのすぐ近くに住んでいたそうです。
お父さんが広島県警察にお勤めだったので、今はなき岩子島駐在所で暮らしていたそうです。
教えていただき 嬉しいです
映画「転校生」のラストシーンには、実は衝撃的なことが隠されています。
小林聡美さんが演じた斉藤一美は、「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追い駆けて国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ向かって走ったことになっていますが、出発直後のトラックは、なぜか尾道市本庁舎前の海岸通りへと瞬間移動して、なんと「斉藤一夫の家」へ向かって走っているのです。
その理由は、一美が駆け出した地点のロケ地は、映画「東京物語」で小津安二郎監督が撮影した「栗吉材木店」の倉庫と看板があった地と同一にしたからです。
その際、一美の背後に「仁井時計店の看板」が映り込みますが、それは小津監督が撮影した「栗吉材木店の看板」のオマージュです。
また、尾美としのりさんが演じた一夫の背後に「浄土寺山」が映り込むのは、「東京物語」のラストシーンで東京へ向かう汽車の進行方向に「浄土寺山」が映り込む場面のオマージュです。
一美の15歳の誕生日が「1981年7月12日(日曜日)」に設定された理由は、「東京物語」のラストシーンに現れる平山京子先生の背後に「1953年7月の暦」が映り込んでいることと関係があるのです。
そのシーンでその暦の「12日」が日曜日であることを知って私は衝撃を覚えました。
なんと「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は曜日配列が同一だったのです。
大林監督は、「転校生のラストシーン」を「東京物語のオープニングシーン」へと繋げただけでなく、「一夫の家」の前を出発したはずの一美のことをつい先ほど出発したはずの「一夫の家」へ向かって走らせていたのです。
これは「時間と空間の無限ループ」です。
海岸通りを実際に歩いてみれば、大林組の企画力の素晴らしさに気づきます。
ありがとうございます
「東京物語」や
尾道三部作を
また 観てみたくなりました
教えていただいたことを思い浮かべながら
海岸通りを歩くと これまでよりもさらに楽しくなりそうです
@@Hassaku_Lemon
海岸通りの「竹村家」は、1953年8月、小津安二郎監督、笠智衆さん、原節子さん、香川京子さん及び撮影スタッフが泊まった宿です。
「転校生」のラストシーンをスロー再生してみると、海岸通りを走り去るトラックの右側に「栗吉木材店」と「竹村家」の看板が映り込んでいます。
その先にあるのが「浄土寺山」です。
「茶房こもん」のそばにある福善寺の立体駐車場下の線路沿いで撮影されたのですよ、平山紀子を乗せて尾道駅を出発した汽車が東京へ向かう場面の映像は。
その際、小津監督がカメラをセットした位置は、大林監督が撮影した1988年公開の「レースのカーディガンPV」で「振り向けばレールだけキミに続いてる」の部分のロケ地です。
この時、大林監督は50歳。
小津監督の尾道ロケがあった日から35年目の夏でした。
だから、全然不思議じゃないのですよ、大林監督が映画「時かけ少女」公開の半世紀後にその続編の発表を企画していたとしても。
年齢的に大林監督自身が撮影に関われないとしても、その意志を引き継いでくれる誰かに託すことも可能なわけですから。
当然といえば当然なんですよね、大林宣彦監督は、小津監督や新藤監督の著名な映画の撮影が行われた地でロケを行っているのですから。
「道の駅たけはら」から徒歩5分だけはなれた場所が竹原市立竹原小学校で、その東隣の裏山に市営の共同墓地があります。
そこが「深町家の墓所」とされた地です。
機会があったら出かけてみてください、雰囲気が40年前と変わっていません。
当たり前ですよね、寺院や墓所の雰囲気が変わるハズはないのです。
西方寺普明閣の境内に存在している「未開花の桜」の幹や枝は大きく成長していますよ。
私は、大林監督には、その境内において65歳になった原田知世さんのことを再び主役に抜擢し、その同一ロケ地で撮影するプランがあったと考えています。
映画「時をかける少女」のエンドロールの最後に現れる「西方寺普明閣の石灯籠」は小津監督の象徴、「未開花の桜」は原田知世さんの象徴であったのでしょう。
竹原の町の情報もありがとうございます
竹原の町並みが好きで
以前 竹原の町の動画もアップしているのですが
また 訪れたくなりました
@@Hassaku_Lemon
町並み保存地区の「旧笠井邸」へどうぞ行ってみてください。
「時計修理の日乃出堂」とされた増森邸のすぐそばの建物です。
「旧笠井邸」の2階に置かれた自由帳に私はメッセージを残してきました。
なぜならば、本年2024年4月16日(火曜日)は、芳山和子が福山大学薬学部の廊下でニセの深町一夫と再会した日(1994年4月16日)からちょうど30年に当たる日であったからです。
「旧笠井邸」
是非行きたいと思います
(2階からの眺めが好きで
前回伺ったときにも動画を撮っています)
映画「ふたり」のラストシーンは、1990年夏、尾道市東久保町の坂道において撮影されました。
坂を登って来る女子高生は、前半部分は石田ひかりさんが演じ、後半部分は中嶋朋子さんに替わります。
その際、大林監督は、中嶋朋子さんの「顔」でなくその「お尻」を撮影しています。
「えっ、何それ?」って思いませんでしたか。
女優のお尻を撮影することにはどんな意味があったのでしょうか。
実は、中嶋朋子さんの背後にあったもの、それは「筒湯小学校」でした。
スクリーンの中には映し込まれていません。
2000年3月に久保小学校と統合されたことによって筒湯小学校は廃校になってしまいましたが、1990年当時、そこには筒湯小学校が存在していたのです。
同校は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」においては、香川京子さんが演じた平山京子先生の勤務先とされた学校です。
「東京物語」のラストシーンに現れるのが同校の木造校舎ですが、なんと!坂下から石田ひかりさん現れた地点、正にその地点に1953年8月小津監督はカメラをセットし、木造校舎を撮影していたのです。
「千津子の事故現場」を訪問した人は、必ずその帰り道で「木造校舎跡地」と「浄土寺の境内」を見ることになります。
すごい発想だと思いませんか、大林監督とそのスタッフは。
では、映画「時をかける少女」のエンドロールの最後、当時15歳の原田知世さんの背後にあったものはいったい何でしょうか。
「西方寺普明閣の石灯籠」と「未開花の桜」を指し示すように、「監督 大林宣彦」という白い文字が相対的に動いていますよ。
これはいったい何を示唆しているのでしょうか。
東久保町の戸田邸そばで、神永青年、実加、真子の三人が出会う場面がありますよね。
その場面のロケ地は浄土寺の境内の外ですが、「あぁ、綺麗な夜明けだった。今日も暑うなるぞ。」の境内のロケ地から20メートルぐらい離れた地です。